2009年06月18日

21年度函南生涯学習塾「こころ絵流健康回復法講座」第一回レジメ

平成21年6月3日
21年度かんなみ生涯学習塾「こころ絵流健康回復法講座」第一回レジメ


講師;こころ絵作家金子昌太郎


ほっとする
Relaxation

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     あぁ、やっぱり、ほっとするなぁ
     あなたの存在だけで、ほっとするなぁ
     何も言わなくても、手に取るように分かるからね
     何も欲しいものはないよ
      ただ、黙って、傍らで微笑んでいて欲しい
      ただ、黙って、傍らで見守っていて欲しい
      F3



今日のプログラム;「健康座談会」
@、現代の世の中は、生活のリズムやテンポが目まぐるしく早く、うっかりしていると、私達は社会や時代の波に巻き込まれてしまいがちです。仕事や家庭においても、ストレスの種はつきません。
しかし、愚痴を言う相手はいても、本当にストレスを解消できるような「友人」「知人」は少なく、時には「家族」のなかにストレスの源があったりして、なかなか本物の「話し相手」(ここでは“茶のみ友達”と表現しておきます)に恵まれる方は少ないのではないでしょうか。
確かに“むかし”とは何かが大きく違ってきました。
その結果、多くの方が、自分の様々な「ストレス」を聴いてくれる相手も無く、解消しないストレスを抱えたままの「諦めと我慢の人生」であったりします。

A、この講座において、「健康回復の基本的な環境作り」のひとつとして「座談会」を取り入れているのは、この「茶のみ友達」作りを願っているからなのです。
もちろん難しく考える必要は無く、お互いに相手の話を聴いてあげるという「優しい時間と空間」の場となれば良いなと思って下さい。これが「座談会」の基本的な主旨です。

B今日は、とにかく初日ですので、先ず一人ひとりの「自己紹介」から初めて見ましょう。ご自分のストレスについても話したいと思われる方は、もちろん遠慮せずに聞かせて下さい。ストレスの無い人などいないのですから。
健康の第一歩とは、自分の中の「ストレスを見る」ことから始まります。そして自分の「心」を通して自分の「身体」を「見直してやる」ことから始まります。

2、一年間のスケジュール;別紙のとおり

以上







【こころ絵流心身同時健康回復法の最新記事】
posted by ねこ at 16:31| Comment(0) | こころ絵流心身同時健康回復法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「伊勢吉こころ絵教室」(第5回)

平成21年6月7日
伊勢吉こころ絵教室第五回
こころ絵作家金子昌太郎


1、 「こころのメッセージ」のお届け;
皆様こんにちは。今日はもう第五回目の「伊勢吉こころ絵教室」です。今回も、こうしてお逢いできてとても嬉しく思います。
前回の教室でもちょっとお伝え致しましたが、熱心に「伊勢吉こころ絵教室」に参加されている皆様のこころ絵作品(三回分)を見た上で、講師から新たに「こころのメッセージ」を一人ひとりに書いて渡すことにしたいと思います。
そのメッセージは、「あなたへの心の詩」であったり、「あなたの素晴らしい本質を浮き彫りにした愛のメッセージ」であったりするでしょう。
「世界に二つとない無いあなたへの心のプレゼント」ですから、楽しみにしていてくださいね。




目に見えないこと
What you cannot see

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      目に見える世界の奥に、目に見えない世界がある
      目に見えるものって、実はぼんやりしていて
     目に見えないものって、
      実ははっきりしているかもしれない
     どちらも素敵だけど
      目に見えないことの方が
      僕には大切な気がするなぁ
      F3

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2、あなたの素敵な本質;
「心の中」は、私達は目で見たり、手で触ったりすることなど出来ませんが、どなたの心もここでは、こころ絵という色彩をまとって、見える姿で、あなたの前に現れて来ます。前にも言いましたが、「こころ絵」は、「あなたの本来の素晴らしさ」を見えるようにしてくれます。また時には聞こえるように響いてきてくれます。「こころ絵」は、あなたという素晴らしい存在を、「あなた自身」にもっともっと気付いてもらうためにあるのです。
こうして、こころ絵を続けている「あなた」なら、もう、感じ始めている筈です・・・「自分の中で、何かが少しずつだけれど、素敵に変わり始めているのかもしれない」という感覚や思いを。そして「ご自分のこころ絵」を通して見る「あなたの素敵な本質」や「他人との素敵な違い」を。そしていつもそこには、自然な「人間としての感動」があることに気付き、それこそがあなたを「これからの成長へと導く源泉」であることを。
人の心には、もちろん感情があります。でも感情の砦の奥には「本来のこころ」の存在があります。その「こころ」をもっと育てていけば、もっと「豊かさと幸せ」が、静かにそっと近づいてくるに違いありません。その「こころ」の存在を「意識」して、これからもこころ絵を描き育てて行ってくださいね。
幸せのプレゼントが、あなたへいっぱい届けられますように、今回も心から祈っています。
以上








posted by ねこ at 16:24| Comment(0) | こころ絵教室について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月02日

お知らせ 第7回こころ絵展 

お知らせ

金子昌太郎こころ絵展」のご案内

(1) 今年、7月2日(木)〜7月7日(火)
(10:00から18:00、最終日17:00)
 三島のみしまプラザホテルにおいて、

第7回こころ絵展を開催いたします。

皆様のご来場を心からお待ちしております。

開催概要は下記案内状の通りです;

クリックすると拡大します。↓

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(2)第七回こころ絵展開催のご挨拶;

−(瞑想するこころ絵の世界)ー

@「こころ絵」とは、「こころ」で「こころ」を描くものであります。どんなに疲れていても「こころ絵」を続けることで、こころ絵から生きる力を貰ってきました。こころ絵にふれていると、いつの間にか、エネルギーが充電してきました。更には生き方のヒントに気付かせてくれ、いつも静かに支えてくれる「掛け替えのない伴侶」とも言えるものです。ある意味、こころ絵は瞑想の中から生れているのかもしれません。むしろ、こころ絵が瞑想しているのかもしれません。その結果、そこに本来の自分を取り戻すプロセスが生れ、癒しがあり愛が生れてきているのかもしれません。

Aこころ絵に取り組む目的は、決して「上手な絵を描くためではなく、幸せの本質を探すこと」にあります。その「意識」があってはじめて、自分自身を癒し他の人を癒す「こころの芸術」としての位置付けが許されるような気がしています。
もちろんそこには独自のプログラムに基づく「アートセラピー」として位置付けもありますし、いわゆる「絵画芸術」としての位置付けもありますが、それより、誰もが「自分でこころ絵を体験し」、共感し感動し、「幸せの本質」を探すことが出きる「こころの芸術」の「場」としてこころ絵の世界を感じることが出来たら、こんな嬉しいことはありません。権威や表彰や資格などとは無縁の世界と言わなければなりません。
何かを失ってしまった今の時代で、自分にとってどこかにオアシスのような「空間と場」を持つ意味の大きさは、計り知れないものがあります。
このようなこころ絵本来の目的を忘れない限り、こころ絵は「赤ちゃん」のように、生きる喜びや幸せを感じさせてくれる命ある存在であり、またまるで「母親のような存在」であり、時として「宇宙のような存在」として迫ってくるのを、感じて来ました。
皆様から多くの優しさと愛を頂き、こうして毎年こころ絵展を続けられることを、改めてこころから感謝致します。

平成21年7月2日
みしまプラザホテル・ギャラリーにて
こころ絵作家金子昌太郎



















posted by ねこ at 14:31| Comment(2) | こころ絵個展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

伊勢吉こころ絵教室(第四回)

平成21年5月10日
伊勢吉こころ絵教室第四回
こころ絵作家 金子昌太郎



1、あなたの大切なこころ絵の意味;
皆様こんにちは。「伊勢吉こころ絵教室」も、おかげさまで
今回第四回となります。皆様が、こころ絵教室に参加される動機は様々だと思いますが、参加された方は、どなたもきっとこころ絵の面白さを実感されたのではないかと思います。
皆さんが描き上げる一枚一枚のこころ絵は、一緒に描いている皆さんにも観てもらいますが、一人ひとりのこころ絵は、他の人とは全く違います。そのことは当たり前ではありますが、やはり驚きです。だから、他の方からすると、自分と全く違うこころ絵に接して、自然に感嘆の声を上げてしまうことになるのではないでしょうか。そこには、当たり前なのに不思議と言いたくなるような感動がいつもあります。他の皆さんからあなたがいつも受ける、自然な賞賛の言葉や空気は本物であり、そんな感動を伴っているのが分かるはずです。
「こころ絵」に上手下手という視点は必要ありません。良い悪いという大人社会の評価も点数も必要ありません。学校や社会では何かにつけて、良い悪いという見方が必要のようですが、こころ絵の世界では、どんなこころ絵も受け入れ認めるところから出発します。
「上手下手、良い悪いという概念」がそもそもないのは、心の中から出現してくる「こころ絵」は、人生の感動を伴って誕生したご自分の「大切な赤ちゃん」と同じだからです。


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2、自分を認めてやること;
こころ絵教室では、皆様を今までとは違った楽しい旅にお誘いしたいと思っています。こころ絵を描きそれを楽しんでいるうちに、あなたは、「自分の中にある素晴らしい本質を探す旅」に出ていることに気付かれることでしょう。
人は誰でも、「自分の中に素晴らしい本質」を持っています。
私があなたの描いたこころ絵を通して、「あなたへのメッセージ」を伝える行為は、「素晴らしいあなたの本質」を、「あなたが確認する作業」のお手伝いであり、「素晴らしいあなたの本質」を、「あなたが意識する作業」のお手伝いでもあります。
私がそこに意識するもの、それは、そこにあるあなたの「プラスエネルギー」です。プラスエネルギーの中には、間違いなく「素晴らしい本質」が静かに横たわっていることを、こころ絵を通して、ずっと私は確信してきました。
あなたが、他の人から認めてもらうという前に、「あなた自身」から「あなたの存在が素敵であることを認めてもらえるように」願っています。
「私なんか・・たいしたことない・・」といつも謙遜するばかりの人生から転換し、あなたのプラスエネルギーに満ちた世界をこころ絵を通して、もう一度再構築してみて下さいね。
あなたのプラスエネルギーを意識することは、「あなた」が「あなた」と「本当のコミュニケーション」を始めることを意味しています。それは「愛の扉」をひろびろと開けるチャンスであり、「幸せへの近道」でもあります。そして、それは「あなたの素敵な変身」と言うパラダイム転換が起きる第一歩でもあるのです。

以上


千年の充足感
Satisfaction in 1000 years

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     ずぅーっと以前 千年も前の感覚が今甦る
     やっとあなたに出遭えた
     それは歓喜に満ちた充足感と安ど感
     ずぅーっと待っていた感覚の現実
     F6












posted by ねこ at 17:07| Comment(0) | こころ絵教室について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

「鬱からの脱出、そのためのプロセス」第4回

平成21年4月22日
金子昌太郎カウンセリングレポート(その四)
「鬱からの脱出、そのためのプロセス


遊び心
Playful mind

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     これから、飛んでいきます
      あなたの懐に
     わたしの思いを、しっかり受け止めてね
      だから、ねぇ、遊んでくれますか
      遊んでくれるあなたは、人生のパートナー
     遊び心は、生きる証し
      もう一度遊び心を想い出してごらん
      F3



1、 芸術的コミュ二ケーション;
今回は、「本当のコミュニケーション」のための「芸術的手法」とそのプロセスについてのレポートである。
人間である以上、“鬱”であろうが“普通”であろうが、人とのコミュニケーション能力が問われない場合はない。カウンセリングと言う局面においてはなおのこと、その高い能力が求められるだろう。最も基本となることは、相手の「心」と「感情」を読み解き、相手が「自分のことが本当に分かってもらえる」という“感動”や“安堵感”を持てるような「コミュニケーション」の存在である。
相手との「本当のコミュニケーション」無しには、たとえ「どんな薬」を使ったとしても、それは「表面に見えている症状」に対する「対処療法」止まりでしかなく、“鬱”のマイナスエネルギーを根源的に解消することは出来ないだろう。
カウンセラーに最低限求められるものの中に、「相手が話すことを良く聞いてやり、相手の立場に立つ」共感行為があるが、それは相手との「感情の距離」を短縮するカウンセラーとしての第一歩ではあるものの、それだけでは十分ではない。
「心の距離」を短縮するためには、鬱を構成しているマイナスエネルギーの「何故?」を紐解く必要がある。その「何故」に迫るためには、「薬の処方」では絶対不可能である。「芸術的コミュニケーション」こそが、そのための唯一の処方箋であることを、私は実践を通して確信してきた。


2、プロセス(言葉の意味);
「聞く技能」と共に、相手や自分が発する言葉や単語の「意味」を、双方で共有できるかどうかが重要である。その人の発する言葉は、どんな「意味」で使っているかを曖昧にせず、可能な限り「言葉の感覚」を「間の芸術」を駆使して「追求する」ことが求められる。その「追求」は「感覚」でしかなしえない。「感覚レベル」で言葉の意味を共有し理解できるかどうかが、私の言う「芸術的コミュニケーション」の第一プロセスになる。
ひとつの言葉には多くの意味がある。また発する人によって、「その言葉の感覚」は夫々に異なるものである。この「事実」を前提にして、相手の伝えたいものを理解するには、頭のなかではなく、「聞く人の自然で素直な曇りのない感覚」に頼ることになる。そのためには、「間」を駆使した巧みな質問のアプローチが大切となる。
よく会話や議論の場で話が混乱する一つには、相手の言う言葉が曖昧で不的確であるか、または相手に勝手に解釈されてしまうからである。
「そういう意味で言ったのじゃありません」と弁解する一方では、自分が言いたいことを正確に伝えられない時もある。自分でさえ自分が感じていることを表現することは、もともと極めて難しい。ましてや「相手の言葉の感情的な意味」を正確に理解することは至難の技であるからこそ、本当のコミュニケーション能力を磨く覚悟が、カウンセラーになければならない。
その人の言う言葉の意味を確認し、その人の言う言葉の背景にある感覚を解釈するという精神的作業が、いかに集中力を要する創造的行為であるか、いかにエネルギーを要する芸術的行為であるかを思うと、「その人への愛」と「芸術的コミュ二ケーション」への覚悟が必要であり、その行為への「敬虔な姿勢」がなければ出来ないプロセスでもあろう。
カウンセリングは、「技術」を超えた「芸術」であり、技術の習得や記憶勉強だけでは成り立たない。絵画、彫刻、音楽など多くの芸術には、心に響く「感動」が存在している。
感動のない芸術があり得ないのと同じく、感動のないカウンセリングはあり得ない。
カウンセリングを受けて、カウンセラーの真偽を確かめる方法はただ一つしかない。それは、自然で素直な感覚から来る自分の中から聞こえてくる心の手応えであろう。カウンセリングを受けて感動できたかどうか、自分の感覚に問いただすことこそ大切である。
次回は、「言葉の解釈のプロセス」と鬱の人の陥りやすい「判断の迷い」に付いて話してみたい。   
以上








2009年04月07日

伊勢吉こころ絵教室(第3回)

平成21年4月5日
「こころ絵メッセージ」
伊勢吉こころ絵教室(第三回)
こころ絵作家 金子昌太郎

1、 初めに;
皆様こんにちは。今日もまた、「伊勢吉こころ絵教室」に、こうして大勢の方が参加していただきとても嬉しく思います。また伊勢吉様からは、この教室のため、きめ細やかなこころ配りがなされていてとても感謝しています。
さて、「こころ絵教室」を体験された方は、今まであまり経験したことがないような不思議な楽しさを感じておられるのではないでしょうか。それは、いろいろあるでしょうが、忙しい日常の生活では、ずっと忘れてしまっている「何か」を、この教室で取り戻せそうな喜びと感動を感じるからではないでしょうか。今までの人生では、あまり大切にしてこなかったかも知れませんが、そんな「非日常の時間と空間」のなかにこそ、本当の自分を見つめ直すヒントに出会えるチャンスがあるでしょう。日常から離れて、わざわざ「教室」に参加する意味は、そのようなところにもあると思っています。
「こころ絵教室」は、心を意識し感覚を大切にして、自分を囚われから解放し、そのプロセスのなかで、今まで気付かなかった本来の
“素的な”自分を発見していく楽しく自由な「幸せ教室」です。
「こころ絵」は、もちろん「絵画芸術」でもあります。こころ絵の場合、こころ絵の技術を会得する楽しみもありますが、本当に大切なことは、人生に大きな影響をあたえる「生きる感覚」を、こころ絵を通して豊かにしていくことだと思っています。それが、「こころ絵の真髄」であり、あなたを「本物の絵画芸術感覚」へと導く牽引役となり、いつの間にか、「おまけで、絵まで上手になっている自分」に、気が付く時がくると私は確信しています。
日本人は、古来「わび」「さび」「幽玄」「もののあわれ」などと言う、「見えない微細な心の世界」を、とても大切にしてきました。また「神道、茶道、華道、香道、剣道、柔道、武士道・・」など、繊細な感覚の上に、「道」の世界を育ててきました。そこでは、教義や解説書はなく、身体で覚えるという「感覚の中に極意」を見ようとしてきました。このように日本人が、様々な「心の世界」を持っていることは、古来から、豊かな感性を兼ね備えた民族であることを証明するものだと思います。しかし現代はどうでしょうか。世の中の傾向は、ややもすると物質中心の唯物的な価値観に満ち溢れていて、どこかぎすぎすした生き方に陥って、「ストレスを貯めている多くの日本人」がいるような気がします。
「こころ絵」に触れる人たちが、そんな原点に戻って、もう一度“こころ“を呼び覚ますことの出来る癒しの世界を取り戻し、豊かなこころで自然な生き方をしてきた日本人の良さを再発見する機会になればと、私は願っています。どうか「自然に無理せず素直に自由に」楽しく、是非皆様と一緒に「こころ絵の空間」を作り上げて行きたいものです。

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2、こころ絵教室
教室での一枚一枚のこころ絵作品に対して、いつも私は側から感想をお伝えするつもりです。素直な「感覚」から出で来た言葉は、あなたへの「こころのメッセージ」でもあり、こころと感覚で受け止めて下さい。そうすればきっと、生命ある「言葉や詩」が、「新しいあなた」の自覚に役立つかもしれません。人生では、頭でなく感覚で受け止めることの出来た「言葉」は、どこに居ても、私達の励ましとなり、「生きるエネルギー」になることがあります。
また、皆様からも、自由に「感想」「質問」や「自分のこと」「子どものこと」など話してください。時間の最後に、そんなひとときも取りたいと思っています。
こころ絵教室の目的は、「上手な絵を描くことより、幸せになること」です。教室にいるときには、「素直に自由に」この時間を楽しみながら、「自然に無理せず」の流儀を忘れずに進めて行きたいものです。
ここでは、力を抜いて疲れやストレスを取る場所と空間であることを忘れないで下さいね。                  
以上


白い輝き
Brilliant white

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     白は、全てのものを統合して、
     無垢の輝きへ進化する
     安心と救いが広がり、全てに調和が訪れる
     信頼と希望の日溜まりが、
     やがてあなたのこころを
     静かに暖めてくれるでしょう
     白き輝きこそ至高の世界
      F4









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2009年03月24日

沼津朝日新聞

こころのなか 
Inside the heart
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      こころのなかって、見えるのかなぁ
      きっと金色の波がさざめいていて
      サラサラって爽やかな音
      チリンチリンって鈴の音が温かい
      調和に満ちた優しさが あなたの心
      もっと輝くよ
      F6

新聞掲載沼津seesaa.jpg


2008年12月10日沼津朝日新聞に金子昌太郎の投稿した記事、「市長選と街づくり」が小野敬子さんの記事の中に書かれていました。↑





タグ:金子昌太郎
posted by ねこ at 12:27| Comment(0) | 新聞掲載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「鬱からの脱出」第3回

平成21年3月20日 
金子昌太郎カウンセリングレポート(その三)
「鬱からの脱出」



輝き
Brilliance

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     白色の輝きは、ダークブルーの中でさらに明るさを強め、
     世界が変わり始める
     その輝きは、進化のエネルギー
     その輝きは、達成のエネルギー
     その輝きは、平等のエネルギー
     その輝きは、心の解放へのエネルギー
     F3


1、「鬱病」という病名が、広く行き渡るようになったのは、最近のことである。しかも、鬱病は年々増加の一途をたどっている。病院に行って、不安や恐れを口にすれば、医者は簡単に薬を出してくれる。何度も行くと、症状と言うものに合わせて、薬の数も増えていって何種類もの薬を併せ呑むことになる。医者との面談時間は、多くても10分かせいぜい20分もあれば多い方であろう。その結果、何種類かあるタイプに当てはまる鬱病の専門的な名前を宣告され、自分の病気を確信してしまうことになる。今日本では、心療内科を掲げる病院の数は、この数年何倍かに増えていて、いわゆる心療内科の安売り市場が出現していると警告を出している識者も多い。良い病院、良い医者をいかに選ぶかが問われている。
それでも、患者として薬を貰い病名を貰うと、それなりに、ある安心感を覚えることになったりする。それからは、病気だという認識が、自分の思いと考え方の原点となり、自分の人生全てを病気の立場から眺め続ける自分がいて、安心したり、諦めていたりする自分がいたりする。また廻りも、本人以上に、もっと確信的にそう思い込んでしまうことになり、ますます「薬に依存した病気の構図」が出来上がってしまうことになる。

2、では何故、そのような「鬱病」と言われる状態になったのだろうか?そして、「本当にあなたは鬱病なのだろうか?」。短時間の診察で病院からは、その明快な説明は聞かれないだろうが、鬱と言われてしまった人や家族や廻りの人にとっては、この何故こそが、最も重大な疑問であろう。そのような場合は、病院に任せてしまうのでなく、別のカウンセラーの力も借りながら、自分達も一緒になってどこまでもその原点を真摯に素直に解明しようと努力するべきであろう。それは関わっている人たちにとっての人生の問題でもあるのだ。
もし、カウンセラーに相談する時、お手伝いするカウンセラーの役割は重大である。“20分面談”などではなく、“二時間単位の面談“の繰り返しが、カウンセリングの基本になる筈であり、経験豊富な芸術的コミュニケーション能力が問われよう。
「鬱病」とは一体何か?この問いを投げかけてみれば分かることだが、その回答の多さに鬱の“複雑さといいかげんさ”が現れているのだ。医者の回答が正しいと鵜呑みにしては危険である。
この当たり前とも言える問題を解いていくことこそが、今陥っている「いわゆる鬱」の症状を解き明かし、それを解消する「本当のくすり」に出会う基本なのだと、私は経験から思ってきた。しかもそれ以外に、「本当のくすり」に出会う方法はないと思うのである。
鬱を「薬」だけで「治る」という思い込みがあれば、それこそが「鬱を慢性化」させる最大の「副作用」の一つなのだと言ったら、皆様はどう思われるだろうか?
次回は、いわゆる「鬱」の「本当のくすり」をどのような「プロセス」で、どんな「芸術的手法」を用い
て処方していくかについてレポートしたい。           以上







2009年03月17日

「グリーフワーク」(随筆)

千の風.JPG   「千の風になって

  あなたは、涙を見せていましたね
  泉のほとりに佇み
  あなたの祈りは、遠く空の彼方へ
  千の風になって、千の風の歌になって
  静かに流れ、緑の微風をおこしながら
  きっと、生まれかわるのかもしれません



望月 なほ さんからのお便りです。


「グリーフワーク」

大切な人を亡くしたことはありますか?
どんなに愛していてもどんなにその存在が貴重なものでも確実に人は死んでいきます。死なない人など居ないのですから当然なのですがやはり、その事実を受け入れるのには時間が必要です。時間が全てを解決してくれるものでもありません。悲しみ,悼み、そうした心を上手く昇華させることで亡くなった方の魂と共存できるように思います。
通常、日本人は(主として仏教徒とさせていただきます。)一年を目安に嘆きの日々に終止符を打つようです。ちょうど一周忌と言う行事がそうさせてくれるのかもしれません。ただ記憶の片隅に置くだけであればそれはそれで良いことかもしれません。亡くなった魂と共存できたらもっとと強くなれるとは思いませんか。
私がこころ絵と出逢ったとき、大切な友人を亡くして半年あまりでした。
その存在があまりに大きかったために喪失感は私の体力気力ともに蝕んでいました。そんなことでは彼女が悲しむことを十分承知していても身動きが取れませんでした。なぜそこまでになってしまったかと言えば、彼女を見送る過程で私は泣くタイミングを逃していたのです。
臨終のときも彼女に大切にしていただいた仲間へ連絡に追われ、通夜,葬儀もあわただしく過ぎ泣けなかったのです。単なる忙しさと言うよりも、忙しいことで自分を支えていたのかもしれません。彼女の不在。それが恐怖でした。
こころ絵と出逢って数ヶ月初夏をむかえました。金子先生が創作なさる後ろでなんとなく彼女のことを話したくなりました。どんなに素敵な人であったのか。
そして何の恩返しもできないまま見送ってしまったことへの後悔。そして泣けない自分が薄情者であるように感じること。
先生はキャンバスに向かって黙って聴いてくださいました。
「彼女は風になってここにいるよ・・・」キャンバスには明るい風がふいていました。
私は号泣しました。
先生は次の作品展の案内状にはそこで描かれた「千の風になって」がプリントされていました。
彼女のお母様を作品展にお誘いしました。「**さんはここにいるのね。」そうおっしゃると葉書を抱きしめてくださいました。
その後私は彼女の名前にちなみ一枚のこころ絵を描きました。深い泉に映る満月の絵です。彼女はそれからずっと私のそばに居てくれているような気がしています。心で問いかけると彼女の生き方が自然に答えを呼んできてくれます。
死は永遠の別れではなく、魂の新しい出逢い。無宗教の私の出した答えです。







タグ:こころ絵

『大人だって褒められたい」(随筆)

精神の成熟
Your maturity of spirit

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      青く澄んだ深い宇宙のはてに、
      わたしたちは居た
      そこは、安らぎの世界、静けさの世界
      深い思考と精神の成熟により、
      やがて理性の扉が開かれる
      神聖なる空間のなかに、
      確かな自由と解放が生まれる
      F10

望月 なほ さんからのお便りです。

「大人だって褒められたい」

一昔前、今や当たり前のように普及したTOTOウォシュレットのコマーシャルで
おしりだって洗ってほしい」とちょっと小悪魔的倦怠感のある女優がつぶやき世間ではブームを呼びました。
当時の感覚では「お尻は紙で拭くもの」という絶対的なものがあり、その数年前のオイルショックの時にはトイレットペーパーを必死で買い込んだ主婦がいたものです。それがあのコマーシャルは根底からひっくり返したのです。今や公共トイレにも導入されています。
私は個人的にウォシュレットが好きではありませんので活用しませんが、友人の一人には出張の際のホテル選びの条件の一つであると聴いて「ほぉーそこまでお好きですか」と感動しました。ここでおしりの話をしたいのではありません。
「大人だって褒められたい」私は最近一人でつぶやくのです。
あなたは最近褒められたことがありますか?
このところ 叱られる、お説教される、あげくは怒鳴られる・・・ことばかり続き疲れています。
大人になるとそうそう人は褒められる経験がなくなるのが一般的ではないでしょうか。
子供時代のことを考えてください。本当に些細なことでも褒められてそれが原動力になりまた頑張っちゃった経験ありませんか。
そもそも人は褒められて成長すると言っても過言ではないように思います。赤ちゃんはウンチをするだけで褒められるのですよ。「まあなんていいウンチでしょう!おりこうさんね」「トイレでおしっこができたのね!なんて良い子でしょう!」ってね。
大人になると残念ながら成長し続けられるのは脳だけだそうです。肉体はただひたすら衰退へと向かいます。唯一成長が生涯続く脳を成長させるためにはやはり褒めてもらうのが特効薬なのです。もちろん自分で自分を褒めるという技術を大人は持って何とか生活しているわけですが、こればかりではやはり飛躍的成長を実感できにくいのが本当のところです。なにせ普通に生活していて褒めてもらえる機会なんて滅多にありません。逆に叱られる厭味を言われる頻度のほうが絶対量として多くはありませんか。
私はそんな自分のご褒美のために、褒めて褒めて褒められる場所を確保してあります。
「こころ絵」は先生を始め仲間が互いに褒めあいます。
馬鹿じゃないですから本当に心にない褒め言葉なんて効果はありませんよね。自然に無理なく相手を褒めたくなる。そして褒めてもらえる。
「そんなのあるわけない!大人ならお世辞の一つもつくに決まっている!」そう思うのは当たり前でしょうね。「こころ絵」ではゼロ歳児の描いた絵と四十五歳の描いた絵の判別ができません。本当に不思議なことですが子供の福祉を考えるお役所のあるセミナーで、その日描かれた作品を示したとき賞賛されたのは初めて「こころ絵」を体験した小学生の絵であったり「絵を描くのなんて何十年ぶり・・・」と言うお年寄りの絵であったりしたのです。上手いとか下手とかいう世界を超えて直接人の心を捉えるのが「こころ絵」なのです。ですからやっていくうちに次第に自分の感性に素直になり表現の仕様がないけれど良い物は良いと言えるようになるのです。
仲間の描いた絵に勝手に題名をつけて感動しまくるのが私の悪癖ですが、相手を傷つけない限りは許されます。そもそも感動してつける題名に嫌悪する人もそうはいないと勝手に判断しています。また自分では不本意なできの作品を「これがなんだかとっても好き!」
「これってなんだか良いのよね。」と言われ「へーそうなんだ・・・」ということもしばしばあります。
自己評価の低い自分が褒められるのは始めは居心地の悪さを感じます。
ちょうど温泉に入るときに洋服を脱ぐようなちょっと無防備な薄ら寒さを感じますが、温泉に入ってしまえば極楽!そんな感じと似ているように思います。
「こころ絵」は私の心の露天風呂なんですね。
うーんそろそろ「こころ絵」に湯治にいきたいなあ・・・

2009.3.3 ひな祭りの日に  望月 なほ







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